強迫神経症(強迫性障害)で苦しまれている方へ向けたカウンセリング

強迫性障害の要因と症状、そして解放へ向けて

 強迫神経症(強迫性障害)という言葉をご存知でしょうか?例えば、何度も何度も手を洗わなくては気が済まないという方。ドアのカギを閉め忘れていないか、何度も家に戻って確認せずにはいられないような方。そのような行為が生活に支障をきたしたり、自分の身体を傷つけてしまったりして、自分でもそのおかしさに気づいていても辞められないというレベルになったら、神経症や障害と言ってよい領域に入っているのではないでしょうか。また、このように行動に現れるものだけではなく、強迫観念と言って、ある特定の考えに囚われて、いつまでもそのことが頭から離れないで苦しい。このような状態も強迫神経症の症状の一つと考えられます。そして強迫神経症の大元には不安や恐れが存在します。その不安や恐れから強迫的な行動や観念に支配されてしまうのです。ここでは、強迫神経症に対するより詳しい解説と、その症状に対するカウンセリングでの取り組みをご紹介したいと思います。強迫的な行為や観念に縛られて苦しまれている方や、カウンセリングにご関心を持たれましたら、ぜひご一読いただけたら幸いです。

●強迫神経症(強迫性障害)の主だった症状とは?

 行為障害としてよく見られる現象は何度も手を洗う、手袋や消毒をしないと物に触れられないなどの不潔恐怖症と呼べるようなものから、鍵を閉めてもその場から離れると不安になって、何度も戻って確認しなくてはいられないなどの確認行為などが挙げられます。強迫観念としては、昼間の仕事の事を思い出して家に帰ってからでもミスをしたのではないかとの思いが生じて、次の日に会社に行って確認するまで不安で仕方なかったり、特定の人との間で生じた怒りが何日も取れなかったりと、不安や恐れの感情でいつまでも苦しむようなことが挙げられます。また、男女の関係などで別れることに至ったり、失恋したりしても、その事が受け入れられずにいつまでも相手に執着してしまうなども、一種の強迫観念と言ってもいいかもしれません。それを行動に移してしまうと強迫的な行為になり得ます。共通して言えることは、一度生じた思考や感情がずっと頭から離れずに囚われて、生活や人間関係に支障をきたしてしまうということです。

●強迫神経症(強迫性障害)の要因になるものとは?

 心配性、潔癖症の親のもとで育てられると、育てられた本人もその影響を受けて同じようなタイプになることがあります。強迫神経症の人は、同居している人にも同じ行為を求めるので、本人も気づかぬうちに心の中に刷り込まれているケースがあるのです。また、親が威圧的であったり、否定されたり、虐待を受けたり、あるいはいじめにあったりと、普段から緊張した生活を強いられ、安心感が得られないで中で育ったアダルトチルドレン複雑性PTSDを背負われた方、愛着に問題のある方なども、不安から生じる強迫的な行為や観念に取りつかれるケースがあります。あまりに過干渉や過保護で育ったケースも、神経症的なケースに発展する場合があります。もちろん本人が生まれ持った気質的な要素も無いとはいえません。

●では、強迫神経症(強迫性障害)に対するカウンセリングとは?

 強迫行為、強迫観念共に言える事ですが、まずは自分が考えていることや行動が現実に即したものかを改めて客観的に捉えていく事から始めていきます。認知行動療法弁証法的行動療法が有効です自分の考えが現実に即していない、ゆがみのようなものがあったら、合理的な考えをカウンセラーと共に考えます。そして、強迫的行動欲求の本人が低いと感じられるものから対処していきます。これをエクスポージャー法(暴露療法)と呼びます。行動的な要素は目に見えるので、対処できた時の達成感などわかりやすいのですが、強迫観念となると自然に生じてくる観念なので、より精神的な取り組みが求められるとも言えます。しかし、認知行動療法などで、自分の思考の偏りなどに気づくことや、マインドフルネス療法などでありのままを受け容れていくことで観念を和らげていく事を目指します。併せて強迫行為や観念の大元にある傷ついた心に焦点を当てていく事で、強迫的な囚われからの自然な解放を目指していきます。

●強迫神経症(強迫性障害)からの解放に向けて。

 強迫神経症は、ある意味その人の奥深いところに根ざした障害でもあると言えます。でも、あきらめずに時間をかけて丁寧に取り組んでいけば、少しずつではあってもその苦しみから解放されていくでしょう。良くなったと感じたり、また戻ったりをくり返しながら、気が付いたら今まで気になっていたことがそれほど気にならなくなっていた、という感じかもしれません。カウンセリングにご関心を持たれましたら、ぜひ一度お気軽にウェッピーカウンセリングルーム日野までご連絡を頂ければと思います。あなたの心が癒されることを願って。